旧新潟税関庁舎

明治2(1869)年に建てられた庁舎は、開港5港のうち、当時の税関として現存する唯一の建物です。地元の大工が西洋建築を見よう見まねで造った建物で「擬洋風建築」と呼ばれています。
一見すると洋風の建物ですが、多くが和風の技術で造られているところに特徴があります。現在の建物は昭和46(1971)年に復元し、平成30(2018)年に耐震補強工事を実施したものです。

荷揚げ場

旧新潟税関には、信濃川に面して、船からの品物を揚げる荷揚げ場の石段が設けられていました。その後、川側の埋め立てや地盤沈下により、地中に埋もれてしまったため、発掘調査や当時を伝える資料をもとに復元しました。
現在は信濃川の流れからだいぶ離れたところにある荷揚げ場の位置が、当時の信濃川の川岸でした。

石庫

石庫は、税関に持ち込まれた品物を行き先が決まるまでの間保管する保税倉庫です。明治2年に建てられ、老朽化が進んだため、初代の建物は昭和38年に解体されました。現在の建物は、昭和57年に復原されたものです。
明治2年当時には、石庫と並んで土蔵もありましたが、今は残っていません。

旧第四銀行住吉町支店

旧第四銀行住吉町支店は、1927(昭和2)年、現在の新潟市中央区住吉町に建てられました。当時、近くには米国株式取引所や証券会社、銀行などが立ち並び、新潟経済の中心的な地域でした。
道路建設計画により、住吉町から博物館敷地内に移築復元しました。

建物の特徴

設計者は新潟市の長谷川龍雄氏で、施工は地元の建設会社の武田組です。
外壁には花崗岩を積み、正面入口には4本のイオニア式の列柱が並びます。この列柱とその奥に見えるアーチ形の窓が、銀行だった建物の荘厳さを強調しています。
内部は、ロビーの上部が吹き抜けで天井が高く、その2階部分にギャラリーがめぐっています。柱、壁、天井は白漆喰仕上げで、腰壁や営業室のカウンター、階段の床などに大理石が用いられています。銀行建築として豪華さを表現しようとした様子が感じられます。

旧第四銀行住吉町支店の移築復元

解体工事

移築復原が不可能な鉄筋コンクリート部分を除く、石材、青銅飾り、漆喰飾り、板材、照明器具などを対象に取り外し作業を行いました。
特に、正面入口の風除室や営業室のカウンターなどは、大きくばらして運び出しました。部材 1つ1つに当時の技術が備わっていることから、再利用する部材には極力手を加えずに解体することで、部材の保存とともに技術の保存にも心がけました。

組立工事

鉄筋コンクリートの骨組みは新たにつくり、解体した部材に補修・クリーニングを行って元の位置に取り付け、当初の建物と同じにしました。
鉄筋コンクリート部分を新しく造り直すことで、安全性・耐久性・耐震性を高めました。照明器具なども、なるべく使用できるように心がけ、現在残っておらず、当時の写真に見られるものは、それに近い形で復元しました。