にいがたの人物伝

近代都市にいがたの生みの親 楠本正隆(くすもとまさたか)

イラスト:林真紀子

時は明治時代のはじめ。外国にみなとを開いたばかりのにいがたの町。
楠本正隆(くすもとまさたか)は、にいがたの県令(けんれい)を命じられました。

楠本:「にいがたはみなとを開き、外国人も訪れる重要な土地だ。わたしは県令として、これからどんどん町を大きく、豊かにしていきたいものだ。」

しかし、楠本はにいがたの町の様子を見て、すっかりおどろいてしまいます。

楠本が見た、にいがた町の様子は次のようなものでした。

楠本:「町を通る堀(ほり)がこんなによごれていてはふけつだ。水が流れていないところもあるぞ。」

「道がせまくてよごれている!せんたくものをほしたり、マキやざいもくを置くので通行のじゃまだ!」

「なんと、家の戸の前に便所をつくるとは、におうではないか!」

楠本はこうしたにいがた町の様子をゆるすことができませんでした。
「なんだ、これは!これでは外国に向けてはずかしいかぎりだ。さっそく改めさせねば。」

楠本はさっそく命令を出しました。

楠本:「道を広げよ!店の前にあった便所もとりこわし、町をきれいにせよ!」

役人:「通行のじゃまになる物を道に置いてはいかんぞ。」

役人:「みな、朝と夕方に家の前の掃除をするように。」

楠本:「決まりを守らない者にはばつを与えよ!」

決まりをやぶる者を取りしまる役もおいたのです。
楠本にとって、にいがたをきれいな町につくりかえることは、外国にはずかしくない町にすることでもありました。

楠本は、にいがた町の人々がとても楽しみにしている盆踊(ぼんおど)りも禁止してしまいました。

楠本:「ハデな服でおどったり、男も女もいりまじっておどり明かしたりするなど、けしからん!」

むかしから、にいがた町の盆踊りは盛り上がるので有名でした。

町民:「聞いたか、盆踊りが禁止されるそうだ。」

町民:「あれ、そんなひどい。わたしゃ、盆踊りがいちばんの楽しみなのにさ。」

このように、楠本はそれまでのにいがた町の人々のくらしも変えさせたのです。

楠本は、にいがたの町の風景も変えました。
白山神社の境内(けいだい)にある蓮池(はすいけ)の周りに、花だんや木々を植え、新潟遊園(にいがたゆうえん)と名付けました。

町民:「ああ、気持ちのいい。この庭園はだれでも利用してよいのですって。」

町民:「広々とした信濃川やそのはるか向こうに見えるやひこ山、かくだ山の美しいこと。」

役人:「町民たちの評判もとてもよいようです。」

楠本:「西洋ではこうした庭園を公園と呼ぶのだ。だから新潟遊園は日本で最初の公園なのだよ。」

にいがたの町の改革(かいかく)を行った楠本は、県令としてのひょうばんを高めました。楠本は今のにいがたの町をつくった人ともいえます。新潟遊園は後に白山公園と呼ばれるようになりました。

楠本は3年間にいがた町で県令の仕事をした後、最初の東京府知事や衆議院の議長にもなりました。