にいがたの人物伝

三潟水抜きの父 伊藤五郎左衛門(いとうごろうざえもん)

イラスト:木原四郎

200年ほどむかし。にいがたの西かんばら地方の人々は水に苦しんでいました。土地が低くて川の水がたまりやすいため、いつも水があふれていたからです。
米をつくるにも、田んぼ用のゲタや舟がひつようなほどでした。

村人:「ああ、この水さえなくなれば、もっとたくさん米をつくれるのになぁ。」

村人:「すなの山があるから、海に水をぬくこともできない。」

村人:「中野小屋村の伊藤五郎左衛門(いとうごろうざえもん)という庄屋(しょうや)さんがすな山をほって、水を海にぬこうとしているらしいぞ。」

西かんばらの人々は、水のたまった潟(かた)と海との間のすな山をほりぬいて、水をすてようと考えていたのです。
伊藤は役所にゆるしをねがい出ました。

伊藤:「すなの山をほりぬき、たまった水を海にすてる。これは西かんばらの村みんなのねがいです。」

役人:「ほかの村々や内野町、にいがた町ともよく話し合って行うように。」

伊藤たち庄屋は苦労してほかの村や町のひとたちと相談を重ね、合意してもらいました。

いよいよ、たまった水を通す工事がはじまりました。

村人:「潟から海まで2500間もあるそうだ。」

村人:「すな山をほりぬくのがたいへんだ。」

毎日、何百人もの人が、すな山をほり、せおいかごやかつぎもっこで土をはこびました。

ほりすすむ場所には西川が流れています。

村人:「新潟町とのやくそくで、西川の水を海に流さないようにしなくては。」

村人:「西川の下にこの底樋(そこひ)という管を通して、管に水を通すのだそうだ。」

村人:「水がたくさんわいてくるぞ。水車でどんどんくみださなければ。」

伊藤:「ああ、ついにほりが完成した。これで新しい田んぼをたくさんつくることができる。」

村人:「たまった水がどんどん流れていくぞ。」

伊藤:「このほりを新川と呼ぼう。」

伊藤:「工事にはのべ、165万2700人もの人がくわわってくれた。」

庄屋:「はじめに考えていたより二倍以上のお金がかかってしまいました。」

伊藤や庄屋たちは、自分のざいさんを売ったり、お役所からお金を借りたりしてお金を集めました。
たくさんの人たちの努力と苦ろうがあったからこそ、新川をつくることができたのです。