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水がむすぶ  都市の広がりと災害・公害
近代的港湾都市への変貌(映像コーナー)
 
(資料番号:2004-U1-00412)
種別:映像
時代:現代
地域:中央地区
第二次世界大戦が終わってまもない新潟港は、アメリカ軍が投下した機雷が残り、信濃川が運ぶ土砂がたまり、大きな船が入港できませんでした。
機雷や土砂が取り除かれ、岸壁・倉庫・鉄道などが整備されて、港は復興しました。そして、港から運び込まれた原材料を使う工場が増えて、新潟の産業は発展に向かいました。
都市の広がりと災害・公害(コーナー全景)
都市の広がりと災害・公害コーナ全景

 

  • アメリカ軍による機雷封鎖
  • 第二次世界大戦末の昭和20年(1945)年5月、アメリカ軍のB29爆撃機4機が新潟港に初めて機雷を43個投下しました。
     B29による機雷投下は全部で12回におよびました。新潟港内や港近くの航路に投下された機雷の数は、アメリカ軍の資料によれば781個に達しました。
     触雷した船は、分かっているだけで、6月末までに17隻、7月末までに35隻にのぼりました。沈没・座礁した船も多くて、船の航行を妨げました。

  • 機雷の掃海と安全宣言
  • 機雷の掃海は、昭和23(1948)年5月に設置された海上保安庁により、9月から本格的に再開されました。
     昭和26(1951)年には、海上保安庁によって、日本海を漂流する機雷の大規模な掃海も行われました。
     海上保安庁が日本船舶以外にも安全宣言を出したのは、「サンフランシスコ平和条約」締結後の27年1月15日でした。