東日本大震災で被災した文化財を救出し、保存する取り組みが被災地の博物館・美術館や資料ネット等により行われています。文化庁では「東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援事業(文化財レスキュー事業)」を立ち上げ、各種機関・団体がこの取り組みを様々な形で支援しています。今回、宮城県石巻市の民俗資料をレスキューするため、新潟県からの応援要員として新潟大学人文学部、新潟県立博物館のスタッフとともに、当館学芸員、岩野・森の2名がレスキュー事業に参加してきました。
新潟チームが参加した作業は約3日間の日程で、国立民族学博物館、東北学院大学などから参加した約15名のスタッフと協力して行いました。主な作業内容は、津波で被災したプレハブの収蔵庫から、保存されていた漁具、生活道具などを運び出し、一部をクリーニングするというものでした。
津波の被害は甚大で、インフラの復旧も完全ではない中でしたが、大きな事故もなく無事に作業を終了することができました。
今回の震災では各地の文化財や博物館資料が被害を受けています。さまざまな機関や組織が震災からの復旧復興に関わっており、当館もいろいろなかたちで役に立ちたいと考えています。
今年度最初の企画展、「“新潟美人”展」が終了しました。展覧会の開催にあたってご協力いただいた方々、ご来場いただいた皆様に感謝申し上げます。
展覧会に訪れた方々のお話から、「美人」という言葉への関心の高さが伺えました。「新潟美人」の由来に対する知的好奇心というだけでなく、視覚的な経験を求めて来られたお客様がとても多かったようです。
今回の展覧会が扱った対象は、具体的な人物や出来事そのものではなく、「新潟美人」といういわば「評判」でした。そのため、その「評判」を載せて広く伝わっていった「メディア」を、展示資料の中心としました。
会期中は、藤村誠先生の講演会、川田芳子主演の活動写真上映会、子ども向けの「針穴カメラ」のプログラムも、多くの皆様に楽しんでいただきました。
ご来場された方からは、新潟芸妓をはじめ様々な関連資料について情報を寄せていただきました。
6月の博物館講座は、「堀直寄の時代と新潟―湊町と村の形成過程―」(担当長谷川学芸員)でした。上杉氏が去った後の新潟市域は、どのように近世社会に衣替えしていったのでしょうか。今回は、昨年の博物館講座「新潟の登場と蒲原・沼垂」で取り上げた「新潟」の登場とその変遷と、17世紀初頭に拡大する越後平野の開発の事例として、市域の国指定文化財笹川邸のある中ノ口川流域を取り上げ、元和年間の古新潟町の形成と市域の村の開発を中心に、与力大名から長岡藩主となった堀直寄の役割を考えました。
新潟の登場とその変遷というテーマを考えるにあたっては、砂丘上に形成される「町」のあり方をどのように考えるかが問題になると思います。今回は、「津」と「湊」に注目し、昨年の講座で紹介した魚沼市弘誓寺不動明王坐像の台座銘「越後国平嶋之郷新潟津不動院之御本尊仁…永禄九年」という墨書銘を出発点として、江戸時代に描かれたり、写された絵図の記述を吟味しつつ参考資料として、
を併せて考察しました。
このように凡そ100年の間に移動しながら新しい町が形成される過程の中で、「新潟」はどのように位置づけられた地域だったのでしょうか。上杉氏が去った後、越後には豊臣大名として堀秀治が入部し、越後遺民一揆・関ヶ原の戦いを経て徳川方として活躍し、その子は将軍秀忠の前で元服し松平忠俊となりました。しかし忠俊を支えるべき堀直次と直寄の不和による騒動により、一時堀家は改易・減封され越後を離れます。その後越後に入封したのは家康の六男松平忠輝でした。ここでは忠輝が新潟町に残した2通の伝馬定書と、そのあと再び長岡藩主として越後に復帰した堀直寄が新潟町に残した「元和の町建て令」から、北国街道などの交通路整備、堀直寄の新たな町づくりと新潟の役割を考えました。
一方、近世初頭の新潟市域では、新しい村の開発が進みました。例えば潟を大小の河川が繋ぐ低湿地帯であった信濃川の本・分流に囲まれた「川中島」といわれた地域では、近世になって堀氏の与力大名として入部してきた新発田藩溝口氏の指導のもと大規模な土木工事が行われ、現在の中ノ口川が開削されるなど、大きな変化が生まれました。この開発の原動力になったのが元武士であった「浪人」層でした。彼らは浄土真宗の僧侶でもあり、信濃や越前・能登などから移住してきました。
(伝承では甲斐武田氏の末裔を賞する)笹川邸の笹川氏も、信濃飯山から越後にこの頃移動してきたと考えられます。そこで大きな役割を果たしたのが、越後を一時離れ飯山城主となっていた堀直寄でした。堀直寄は飯山・あるいは長岡藩主期には、積極的な村の開発と浪人の招き寄せ・定住政策を打ち出していました。ここでは当館所蔵の堀直寄の「郷村法度」を読み解きながら、現段階での大名領主の役割を考えてみた次第です。
中世〜近世期の自然景観の大きな変化の中で形成される新潟市域の成り立ちは、これで何かわかったというわけではなく、謎がいっぱいです。これからも様々な角度から、この問題を考えていきたいと思います。当日講座を聞いて下さいました111名の皆ざま、ありがとうございました。
この日は、たいけんプログラムとして「地名で遊ぼう! 地名でインディアンポーカー風のカードゲーム」を行いました。
このゲームは、元禄13(1700)年に作られた元禄国絵図と、当時の石高を記録した元禄郷帳を素材とした当館オリジナルのカードゲームです。
蒲原郡の地名を80個所ピックアップして、それぞれの石高を記したカードをつくり、インディアンポーカーのルールをアレンジしたルールでカードを取り合うという簡単なゲームですが、いろいろと戦略が組み立てられるため、奥が深いゲームとなりました。
博物館実習生と来館者4名のみなさんとあわせて2ゲームを行いましたが、それぞれにゲーム展開が異なって楽しめました。
地名や18世紀初頭の石高が楽しみながら覚えられるほか、歴史資料を研究的な視点でみるのとは異なる新しい発見もあるので、大人子どもを問わず、様々な楽しみ方ができるのではないかと思います。
昭和39年6月16日は新潟地震の発生日です。みなとぴあでは毎年この時期に防災訓練を実施しています。今年は、博物館本館において、新潟市を震源とした地震を想定した防災訓練を行いました。今年は東日本大震災が起こったこともあり、地震・火災の発生以外に、津波の危険性についても考慮しながらの訓練となりました。博物館に勤務するすべての職員が参加して、災害発生時に来館者の安全をいち早く確保するための行動確認とともに、途中で火災が発生し、怪我人が出たという想定のもと、対策本部の指示に従いながら各職員がそれぞれの状況に迅速に対応するよう心がけました。
また本館内での防災訓練のあとで、消火器を用いた訓練や災害時に使用する放送機器の説明も受けました。実動することがないのが一番ですが、もし万が一の場合は瞬時に対応できるよう、日頃から避難経路や消火器の設置場所など、気にかけておかなければと思います。
新潟奉行・川村修就を紹介するコーナーの展示替えをしました。
この展示スペースでは5月21日〜26日まで、特別展示として「良寛書刻字 飴屋看板」の展示をおこなっていましたが、期間が終了したため新潟奉行・川村修就関連資料の展示に戻しました。
展示替えにあたり、今回は川村修就の「役人」としての側面に光を当てました。
「新潟奉行屋敷之図」をはじめ、砂防林の造営政策によって生まれた浜の耕地とその利用状況を示した「寄居白山外神殿起返並新潟浜村空地新開絵図」等の絵図、「印判」「文机」「文箱」といった川村の筆まわりの資料、「在勤日記」「市中御触并達書」等の文書資料を展示しています。是非ご覧下さい。
6月14日から西区の西新潟市民会館を会場に「新潟島は宝島!?歴史的建造物の魅力再発見!」のパネル展が始まりました。「新潟島は宝島!?・・・」は、昨年度、文化庁からの支援を受け実施した事業で、市民とともに新潟島の歴史的建造物の魅力を探りだしてきたものです。中央区の新潟島の宝物(文化財)を西区の方々にも紹介したいと、同会館の協議会の方々が企画しました。本事業のパネルの他、みなとぴあが所有する古町周辺の昔の写真10点もあわせて展示しています。
会期は今月26日まで。お近くの方はぜひご覧ください。18(土)・26(日)の午後1時30分からは、同会場で解説会が行われます。
新潟は米どころのイメージが強い土地です。むかしの人々のくらしでは、米を育て、収穫したあとに残るワラは捨てずにいろいろな生活道具を作るための材料として活かされてきました。
この日のプログラムは、ワラを使ってハガキをつくり、絵手紙を描く、という盛りだくさんのものになりました。まず、煮て、やわらかくしたワラの繊維を水とミキサーにかけ、細かくしたものを簡単な紙漉き器にかけて、ハガキを作ります。水分を十分に取って、アイロンで乾燥させるとワラのハガキが完成します。
このハガキを使って、絵手紙を描きます。講師の先生から、筆の持ち方、線の描き方を教わったら、野菜や花など描きたいものをよく観察しながら、描き始めます。コツは大胆、かつ繊細に。先生曰く、絵手紙に間違った線はないので、自由に描きます。輪郭線を描いた後は色をつけ、一言添えて、最後に朱色で名前をいれて、できあがりです。
旬の野菜や花を描き、最初から最後まで自分の手で作ったハガキを手に、離れて暮らすおじいちゃん、おばあちゃんに送ります、という参加者たちの言葉に、あたたかい気持ちになったひとときでした。
毎年恒例のファンクラブ限定のバスツアーが開催されました。今年は34名の方の参加を得て、小林館長の研究対象のひとつである「沼垂城」木簡が発見された八幡林遺跡(長岡市和島)を中心に、弥彦・寺泊などの古代史研究ゆかりの地を訪ねました。
新潟駅を出発したバスは、四十石遺跡(新潟市赤塚付近)を遠くに見ながら、旧北国街道を通って弥彦へ進みました。最初に訪れたのは、弥彦村麓の桜井神社です。延喜式には蒲原郡に5つの郷があることになっています。館長は、この付近が蒲原郡の「桜井郷」に比定できるのではないかと考えており、桜井神社はそのシンボルとなる史跡です。弥彦山の伏流水がわき出る泉の脇に、巨大な3本のケヤキの古木が立っているのが印象的でした。
次に、長岡市寺泊に入り、横滝山廃寺跡を見学しました。ここは白鳳期の寺院の存在が伺える鴟尾や瓦が出土したことから、ここに8世紀から9世紀頃に、越後の国府が置かれたとする説のある重要な遺跡です。館長はその学説のもとになった遺構を解説しつつ、越後国府の可能性について新たな問題提起を行い、大変刺激的な現地見学となりました。
次いで、寺泊の町へ移動し、聚感園と白山媛神社を訪れました。寺泊では、長岡市立科学博物館の加藤由美子さんにご案内・解説をしていただきました。 聚感園は、寺泊の豪族菊屋五十嵐家の邸宅で、中世期の佐渡に配流された人々が風待ちのため逗留したところです。承久の乱で北条氏のために佐渡へ流された順徳上皇、鎌倉時代後期を代表する歌人藤原為兼などが、ここで和歌などを残しています。ところが、戊辰戦争や明治初期の火災のため五十嵐家は没落したため、心ある人々によって史跡保存が図られたのがこの公園です。加藤さんの寺泊の歴史解説をとともに、順徳上皇の遺跡碑や御製の碑、日蓮の説法場所などを見学しました。
その後、白山媛神社の収蔵庫に展示されている国指定文化財船絵馬28点を見学しました。これらは江戸時代から明治期に大阪の船絵馬師によって製作されたものですが、大型の千石船の変遷や生き生きとした航海の様子が見事に描き出されている素晴しい文化財です。実は、この時間帯だけ、激しい雨に見舞われたのですが、収蔵庫の中では、北前船に関する質問が次々と飛び出し、活気ある見学となりました。
昼食は寺泊で海鮮料理に舌鼓みを打ち、午後は、今回のバスツアーのメインである八幡林遺跡のある長岡市和島へ移動しました。和島では、長岡市立科学博物館の丸山一昭さんにご案内していただきました。 まず、和島歴史民俗資料館で八幡林遺跡から出土した様々な遺物を見学するとともに、出土した木簡の実物と対面し、複製の木簡と比較する形で、丸山さんより木簡の内容や用途、機能に至る様々な解説をしていただきました。実物の木簡を間近で実見する機会はなかなかありません。特に「沼垂城」木簡についての関心は高く、皆さんは解説に熱心に聞き入っていました。
その後、いよいよ八幡林遺跡の現地へ移動です。この頃には天候が回復し、お昼に降っていた雨もすっかり上がり、太陽もさんさんと照るようになりました。八幡林遺跡は現在国道116号線のトンネルの上にあります。発掘当初は切り通しにする予定だったのを、館長を始めとする専門家、地元の人々、さらには「沼垂城」木簡が出てきたことから、新潟市沼垂の人々の熱い保存運動が実って、遺跡を残して道路をトンネル化することに成功したのだそうです。どこから木簡が出土したか、どの地点には大型の建物が出てきたかなど、八幡林遺跡の姿を垣間見ることができ、古代の和島地域の様子に思いをはせることが出来ました。遺跡は今後史跡整備を行う予定です。その後、バスの車中からで下の西遺跡を見学しました。
和島は良寛の終焉地でもあります。島崎川のほとりでバスを降り、良寛が最後に庵を結んだ木村家の前を通り、良寛の墓がある隆泉寺を見学し、島崎の村を歩いて最後に宇奈具志神社を見学して、帰路につきました。
曇りの天候で始まった今年のバスツアーでしたが、にわか雨の後天候も回復し、予定通り終了することができました。長岡市科学博物館の加藤さん、丸山さんには詳細な解説をしていただきありがとうございました。
参加して下さいました皆さま、最後までお付き合い下さいましてありがとうございました。また、魅力あるバスツアーを計画したいと思います。
現在開催中の“新潟美人”展では、芸妓さんのポートレートの絵葉書などが展示されています。これにちなんで、針穴カメラをつかって自画像を撮影するプログラムを行いました。レンズもシャッターもついていない針穴カメラですが、針の先であけた穴を通ってくる光を印画紙に写し、現像し、陰画にします。今日は曇り空でしたが、20秒くらい光を取り込むと、ちょうどよい写真が撮れました。
撮影のあとは、暗室で現像します。現像液に漬けた印画紙の中からぼんやりと画像が浮かび始めると、参加者からは驚きの声が上がりました。デジタルカメラが当たり前になった今のこどもたちには、この瞬間までちゃんと撮影できているかどうかわからないドキドキ感が新鮮だったようです。参加者からは、思っていた以上に楽しかった、もっとたくさん撮影していい写真を撮りたい、という感想があがりました。
当館シアターにて「無声映画上映会」を開催しました。
上演したのは、川田芳子(1895 - 1970)の主演作品2本です。川田は、活動写真時代に人気を得た新潟市出身の女優で、「“新潟美人”展」でも紹介しています。
一本目の上映作品は、川田の代表作のひとつ、『母』(野村芳亭監督)。子役としてデビューした高峰秀子の演技も微笑ましい作品でした。二本目は『明け行く空』(斎藤寅次郎監督)。わが子と再会する数奇な運命の「母」を川田が好演しました。
何より、「活動弁士」の斎藤裕子さんの変幻自在の語りが、参加された108名の観衆を魅了し、昭和4年の「活動写真」の雰囲気をたっぷり楽しませてくれました。
今年度の博物館講座がこの日から始まりました。第一回目は、現新潟市域の織物生産、とくに綿織物産業について、その歴史をお話し、40人にご参加いただきました。木綿というと、西日本でさかんに作られていたイメージがありますが、蒲原平野でも江戸時代には川沿いの平野部を中心に木綿の栽培が行われており、幕末には、大野綿や、亀田縞、曽根木綿、などとして知られていたことが分かっています。幕末から明治にかけての生産のあり方、また、明治末から大正期にかけて、全国的に繊維産業全体がどんどん動力化されていく中、それぞれの産地がどのような取り組みをしていたかについてお話ししました。
参加者のみなさんからは、自分が幼かった頃に祖母がつくってくれたのが亀田縞の着物だった、ということや、祖母が家族全員の着るものを織っていたことを思い出した、などというお話が寄せられました。
次回は6月19日、「堀直寄の時代と新潟‐港町と村の形成過程‐」と題して行います。どうぞ、お楽しみに。
この週末のプログラムはトンボ玉をつくるプログラムでした。鋳型をつかった古代のガラス玉づくりの紹介をした後は、現代の技術をつかって、ガスバーナーで色ガラス棒を溶かし、トンボ玉をつくりました。
実際に、バーナーの炎を目の前にすると、炎との距離が近いように感じられて、怖さで手がうまく動きません。ようやく、熱でガラスが溶けたので金属棒に巻きつけようとしますが、なかなか上手にコントロール出来ません。それでも、炎のなかでガラスをあやつるうちに、焼けたガラスが丸くなりトンボ玉ができました。参加者たちが、自分の作ったトンボ玉を大事そうに持ちかえる様子が印象的でした。
この日は、つなげようプロジェクトという、東日本大震災支援チャリティーイベントがみなとぴあを会場に行われました。このイベントは、地域の人々が、未曾有の大震災で被害を受けた人々に対して、新潟の街で何かできないか、という思いからスタートしました。
朝から晴天に恵まれ、沼垂木遣りのみなさんの発声を合図にイベントが始まりました。敷地内の芝生広場では、地域の有志による飲食の屋台や手づくり雑貨などのフリーマーケット、チャリティグッズの販売などが行われました。芸能ステージでは、新潟の演歌歌手、越ひかりさんのステージや民謡連盟のみなさんの踊り、こどもたちのよさこい演舞など、多くの方々に出演していただき、会場を盛り上げてもらいました。また、たいけんのひろばでは、このイベントに合わせて、様々なプログラムを実施しました。
また、新潟鳥凧の会のみなさんによる鳥凧を揚げるデモンストレーションでは、本物そっくりの鳥凧が空高く舞い上がり、みなとぴあ付近にいたカモメたちが鳥凧に驚いている様子が見受けられました。その他、新しいスポーツであるディスコンのデモンストレーション、ガイドとともに下町散策、などもりだくさんのイベントが行われました。
さらに、古町芸妓による唄と舞のステージでは、多くの人が芸妓さんの所作と美しさに酔いしれていました。
朝からたくさんの方のご来場があり、参加数は1800人でした。ご来場下さったみなさん、イベントに賛同し参加くださったみなさん、また、募金やチャリティグッズの購入にご協力くださったみなさん、本当にありがとうございました。みなさんから集められた善意は、総額72656円となりましたので、これを日本赤十字社東日本大震災義援金といたしました。ご協力ありがとうございました。
今回のテーマは「梨島‐信濃川と他門川に囲まれた島‐」です。タイトルにあるように、信濃川と他門川に囲まれていた島は、梨畑が多くあったことから「梨島」と呼ばれていました。
まず伊東学芸課長から「梨島」の沿革を聞き、参加者16名とともにクロスパルにいがたを出発しました。現在の会社や施設の立地に注目しながら歩き、萬代橋西詰では初代・二代目萬代橋の取付場所を調べました。木揚場教会は教会と言う名前と洋風なたたずまいから、キリスト教の教会のように思われますが、実際は真宗大谷派の説教所で、建物は登録文化財となっています。その後は竹山病院、鏡橋碑を見て、上大川前通の金融街をしのび、こんぴら通り、白勢別邸のあった礎公園、報時塔のあった大円時公園などを巡り、クロスパルへ戻りました。
梨島には見どころがたくさんあり、もっと時間があっても良いくらいの盛りだくさんのまちあるきとなりました。ご参加いただいた皆様、風の強い中お付き合いいただき、ありがとうございました。次回のファンクラブまちあるきは10〜11月頃の予定です。興味のある方はどうぞご入会、ご参加ください。
今年のゴールデンウィークは、たいけんのひろばボランティアスタッフの発案で、少しでも多くの人に楽しんでもらえるよう、日替わりでたいけんプログラムを開催しました。
5月1日は傘袋を使ってつくるこいのぼりとこいのぼりロケット、3日はわりばしてっぽう、かぶとづくりと日光写真、4日は江戸紋切り、5日は縄文コースターづくり、と手軽で、親子で楽しめるプログラムを開催しました。
今年のゴールデンウィークは前半は天候に恵まれませんでしたが、後半は天気も回復し、日光写真のプログラムも開催することができました。どのプログラムも、参加したこどもよりも一緒にやってきた大人の方が熱中してしまうようなものづくりのプログラムでした。
この日のたいけんのひろばのプログラムは、ボランティアスタッフの方が中心となって行われた「さらさら砂絵」でした。それぞれがデザインした絵の色付けを、絵の具を混ぜた新潟の砂で行うものです。初日は生憎の悪天候の中、8人に、2日目は13人の方にご参加いただきました。お子様も楽しんでおられましたが、隣りで手伝うお父さん、お母さんの表情も真剣そのもの!「充実した時間が過ごせました」「楽しかったね!」という言葉とともに、「あそこの海岸の砂が白くてさらさらですよ」というアドバイスまでいただき、参加者・スタッフともに笑顔の絶えないプログラムとなりました。
今日は、“新潟美人”展の関連事業で、郷土史研究家の藤村誠(ふじむら まこと)先生を講師に、「明治の古町美妓列伝」と題する講演会を行いました。明治時代の代表的な芸妓のエピソードを中心に、新潟・古町花街の歴史をご講演いただき、90名の方々がお話を聞きました。
今年度最初の企画展「"新潟美人"展」が始まりました。
新潟の人で県外に出向いた時、「新潟から来ました」という挨拶で、「あの新潟美人で有名な・・・」という答えが帰ってきた経験を持つ方も多いでしょう。それだけ"新潟美人"は、新潟の地域性を示す普遍的な言葉として定着しています。しかし、現代の私たちが"新潟美人"を思い浮かべる時、そのイメージする画像はまちまちなのではないでしょうか。
本展覧会では、まず"新潟美人"が芸妓をさす言葉として定着した江戸時代までさかのぼり、"新潟美人"を表現する書籍や写真、新聞、雑誌などのメディアに着目して、その後"新潟美人"というイメージがどのように形成されてきたかを浮かび上がらせます。
本展覧会で、自分が描く"新潟美人"像と、歴史的に描かれてきた"新潟美人"を確認してみてください。毎週日曜日午後1時30分から展示解説会も開催されます。
みなとぴあの桜が美しく咲き誇り始めたこの日、今年度のボランティア総会が行われました。はじめに、昨年度行われた様々な活動の報告や、新年度の活動予定についての提案がなされました。昨年度も常設や敷地のガイドに加えてたくさんのプログラムが実施されましたが、今年度もさらに充実した活動が期待されます。
また後半の議題では、今後のボランティア組織についての意見交換を行いました。来館者の皆様により楽しんでいただくため、ボランティア登録者独自の組織を構築していくべきかどうか、非常に活発な議論が行われました。改めて、みなとぴあのボランティアさん1人1人の高い意識が感じられる時間でした。
たいけんのひろばの日々の活動にみなとぴあのボランティアスタッフは欠かせません。この日は、ボランティアスタッフとともに、昨年度のたいけんのひろばの活動を振り返り、今年度の活動について話し合いました。
今年度、ボランティアスタッフが新たに取り組みたいと考えている活動やそのための研究会の開催についてなど、ボランティアスタッフ同士の活発な意見交換がこの会をとおして行われました。さまざまな得意分野をもっているボランティアさん同士がつながり、2011年度も楽しいたいけんのひろばの活動を目指します。ぜひ、遊びに来て下さいね。
この日は、新潟かみしばいクラブのメンバーが、当館でさまざまなかみしばいを演じてくださいました。絵に合わせてお話を読むだけでなく、歌をおり込んだり、演者と観客との掛け合いがあったり、と、紙芝居の種類だけでなく、さまざまな演じ方の紙芝居があり、観客もお話に引き込まれている様子が見られました。
3月19日から開催していた収蔵品展「港の絵葉書・その他」展が閉幕しました。
絵葉書や印刷物が中心のシンプルな展覧会でしたが、ごらんになった方々からは戦前の港の様子や旧県立図書館の思い出などについて、さまざまな感想がよせられました。
来年の同じ時期にも、収蔵品を紹介する展覧会を開催する予定ですので、ご期待下さい。
この日のたいけんプログラムは「清少納言の知恵の板」という江戸時代に流行したおもちゃをつくってあそびました。これは、正方形の板から7枚の異なる多角形を切り出し、それを組み合わせて形をつくる遊びです。西洋ではタングラムと呼ばれる似たような遊びがあります。
この日は、正方形の厚紙から、多角形を切り出し、いろんな形を作る問題に挑戦しました。また、昔の生活道具の形をつくり、それがどのような道具だったのか、収蔵資料を使って見比べる、ということもやってみました。
単純な遊びなのですが、それゆえに、参加者たちは頭をひねりながら形をつくるのに熱中していました。